TRAN THI NGAI さん
Tran Thi Ngai さんとその息子
Tran Thi Ngai さん

Tran Dai Nhatさんは、なぜ自分が他のベトナム人の子どもたちと容姿が異なるのかという疑問を口に出したことはなかった。彼にとって、ベトナム戦争中に過ごした生後数年間は、その後の少年時代や成人を迎えた後の人生を悩ます、自身のアイデンティティや受容にまつわる苦悶の日々の始まりに過ぎなかった。

「戦争が終わったとき、ベトナム人兵士が私に、私の父は犬だと言ってきました。私はその意味が理解できませんでした。私はその当時5歳でした。そして、これが私や私の姉妹に関する全ての事の始まりでした」とNhatさんは回想する。彼と2人の姉妹は、このアイデンティティを共有してきた。

自身のアイデンティティによって、Nhatさんは子ども時代、常にいじめの対象だった。「学校では周りの子どもたちに、私は“犬”の息子だと言われてきました。私は何もしていないのに。私はどうすることもできませんでした。私は、なぜ自分がこんな境遇に置かれているのか、その理由が分かりませんでした」

「教師は、なぜ私が父親とともに韓国に帰らなかったのかと問い、私を殴りました。生まれてから今まで、私はこの世に存在するべきではないのではないかと感じ続けてきました」

彼が18歳のとき、母親は真実を打ち明け、本当の父親が誰なのかをNhatさんに話した。

Nhatさんは、韓国軍事基地の近く、ベトナムの中心であるフーイエン省で育った。

地元の村の看護師として働いていた彼の母親、Tran Thi Ngaiさんは、韓国人兵士から初めて強姦を受けたとき、24歳だった。その当時、彼女はまだ処女だった。彼女の家族はその当時、彼女が強姦を受けたことを信じようとせず、自ら進んで性交渉に及んだものと思っていた。そして、自分が妊娠していることを知ったとき、彼女は中絶の誘発剤に頼った。しかし薬は効かず、NgaiさんはNhatさんの姉を出産した。

最初にNgaiさんを強姦した兵士は、その後二年間にわたって、同僚の兵士に彼女への強姦を指示した。「彼らにとってそれは都合が良く、かっこうの的となってしまいました」とNgaiさんは話す。 2度の残酷な強姦によって2人の子どもが生まれた。もう一人の女の子と、そして男の子、Nhatさんである。

Ngaisさんはこれまで、恥辱、秘密、偏見に苦しむ人生を送ってきた。そして生涯にわたり、自身や、自身の3人の子どもたちが受けた恥辱に耐えつづけることを強いられてきた。彼女は、韓国政府は、韓国兵士の所業を謝罪するべきであると断固として話す。

「彼らは私たちの所へやってきて、子どもたちの父親となったにも関わらず、彼らを置き去りにし、苦しませたのです」とNgaiさんは話す。「彼らは、自分たちの所業について、そして私たちに与えた数十年におよぶ恥辱について謝罪するべきです。私や、私の娘たち、息子、そして子どもたちから奪った少年時代に対して。彼らの謝罪の気持ちはどこにあるのでしょうか?」